サーシャの写真

 ロシアからメールが届いた。仲良しになった隊員のサーシャからだ。サーシャの本名はアレクサンダー。ロシアでは、アレクサンダーという名前の人を愛情を込めてサーシャと呼ぶらしい。彼は私以上に英語があまり得意ではない。それでも「わたし ロシア かえった しごと もどった」みたいな片言の英語で、一生懸命にロシアに帰ってからのことなどを毎日のように書いてきてくれる、いいヤツだ。そのうちに、「わたし えいご よくわからないから」というメッセージとともに、現地での写真を添付したメールをまとめて送ってくれた。
 現地にいるときから、よく写真を撮る人だなあと思っていたけれど、添付された写真を見てちょっとびっくりした。なんというか、写真が生き生きとしている。人物写真は、そこに映っている人一人一人の特徴や雰囲気がそれぞれよく表れているし、風景写真といったら、まるで詩を読んでいるように風景の中に心が読めるようなのだ。ああ、こんな風に景色や人を眺めていたんだ、と彼の心が少しわかったような気がした。人物写真の中では、私はどれもまったく女らしくなく、中性的な感じが強烈に表れていて、ちょっと苦笑してしまった。他の隊員の姿を写真で見ても、それぞれ実に特徴が良く表れているのを考えれば、おそらく、サーシャは、私の本質的な部分を見抜いてしまっているんだろうな、と思う。
 ロシア人たちは、ベースキャンプで毎日のようにお酒を飲んでいた。ベースキャンプでミネラルウォーターよりもビールの数が圧倒的に多いことに気付いたときには、私とスペイン人の友達は呆然としたが、彼らは実に実に酒が好きなのだ。
 サーシャは、お酒を飲まないとちょっとシャイな感じであまり積極的に話しかけてはこない。でも、お酒が入ると、ちょっと解放された感じに、心を開いてユーモア一杯に人の懐に入り込んでくる。今のロシアの日常がどのようなものか、私はわからないけれど、なんだか、愛らしさのなかに寂しさが潜んでいるような、希望の中にあきらめがあるような、明るさと影がいつも同居しているような、そんな感じがした。
 今夜はもう一度、詩のような風景写真をじっくり見てみようと思う。