南アフリカ

今回の隊には、南アフリカからの隊員が6人参加していたのだが、私は出発前から彼らに会うのが楽しみだった。いままで、南アフリカに国籍をもつ人と出会う機会がなかったし、まして彼らがどのような嗜好で、普段どんな山登りをしているのか、ということに興味があったからだ。
 南アフリカからの隊員の平均年齢は、40代くらい。年齢的なものもあるだろうが、仕事も楽しみ、山も楽しむといった姿勢が感じられた。私から見ると、ちょっとだけマッチョで、ヘミングウェーのような、アウトドアを愛する大人の趣味人といった雰囲気がある。
 中で、南アフリカから参加した隊員のとりまとめ役のような人物であるマーティンと、とても仲良しになった。彼は終始明るく、みなを盛り上げるムードメーカーであり、同時に、年相応の経験からくる冷静さを持ち合わせているので、信頼がおけるメンバーでもある。彼は、何度か隊長のアンドレーとともに山を登っている。中でもお気に入りなのは、クンルン山脈の誰もいない草原にキャンプを張り、5千メートル前後の未踏の山々を、自分の好きなときに、日帰りまたはキャンプを一つ出して登るという登山だったと話してくれた。無名な山々ではあったけれど、とても自由で楽しい登山だったし、自分はそういうスタイルが好きだと言っていた。
 マーティンは合流した初日から、私に心を開いてくれた。私の今までの経歴に興味を持ち、中でも「タイでの単独の自転車行」を気に入ってくれて、いろいろと質問をしてくる。一方、彼の普段の山登りについて質問すると、彼は家からほど近い岩場で、クラックを登るのが大好きなのだそうだが、話題はそれだけに尽きない。山の話も、海の話も、サファリの話しもアウトドアに関する話題にはことかかないし、スポーツや(ラグビーが中でもお気に入りだ)、色々な国の情勢についても、次から次へと、どれも詳細な数字やらデータとともに、なかなか含蓄のある話しをしてくれる。
 彼が私に興味を持っていた理由は、もうひとつ、80年代のバブル絶頂の日本で1年間暮らした経験があったからでもある。今年40歳になる彼は、20代の頃、奥さんとともに世界中を旅していた途中に、日本に立ち寄ったのだという。奥さんが英語学校の先生として働くことのできるビザが取得できたために、1年間日本で滞在していた。彼自身はワーキングビザがなかったが、町工場や、銀座のドイツレストランで働いていたらしい。町工場と銀座。当時の表と裏を知っている彼は、外国の人とは思えない鋭さで、日本のバブルがなんであったか、そのころの日本人がどうだったかを良く理解していた。町工場は忙しいなんてもんじゃないくらいめちゃくちゃに働かされたし、銀座のドイツレストランは毎日盛況だったという。自分は白人系の南アフリカ人だから、日本人からしてみればドイツ人と同じように見えるから雇ってもらったのだと笑っていた。人当たりの良い彼は、そこで出会ったドイツ語の教授に気に入られ、仕事の後でよく銀座のバーへ連れて行ってもらったりしたという。たった1年の滞在だとは思えないほど、実に深く日本の文化に入り込み、日本人を良く理解しているのには驚くばかりだった。日本人は面白いという。自分と日本人の差異を認めつつ、日本人のメンタリティを理解しそれを好きだという彼。私は、まるで日本人と話しているみたい、と錯覚するときもあった。
 しかしある日、みなで酒を飲みながら人種に関する話題になったとき、彼がまぎれもなく南アフリカという国から来た人なんだと感じることがあった。隊長が、黒人と白人に関する難しい質問を彼にしたときだ。酒の席ではあったが、真面目に彼はこう答えていた。「みんなには理解しがたい部分もあるかもしれないが、南アフリカに住む僕たちにとっては、人種に関する話題はとてもセンシティブなものなんだ。答えられないこともある、ということを理解してほしい。」そんな話題を振った隊長を責めるわけではなく、酒の席だからと笑って話題をそらしたり否定したりするわけでもなく、誠実にそう答えた彼に私は、厳しい歴史の中で一市民として生活してきた彼の歴史を感じずにはいられなかった。また、こういう話しもしてくれた。スウェーデンのバーで飲んでいるときに、英語に特徴があるということで「どこからきたのか」と質問されたことがあった。「南アフリカだ」と答えると、コップを投げつけられ、出ていけ、と言われたことがあったという。昔は、国によっては、南アフリカの白人ということで、他の国では逆に厳しく扱われることがあった、と教えてくれた。
 今彼は、友達二人と会社を立ち上げて、就職の斡旋やコンサルティング、教育事業を行っているという。南アフリカには現在、黒人に優先的な就業の機会を与えなければならないという法律もあるが、まだまだ教育の格差があることが多いという。他の文化や、立場の違いを良く観察して理解し、共感することのできる彼の能力は、きっと、そのような仕事の場で生かされているのだろう。