フランツの贈り物

 フランツはオーストリアから参加した42歳。黄色に近いブロンドの髪をして、色白だが、お酒のせいか日焼のせいか、いつも赤い顔をしている。
 オーストリアでは森の中の一軒家に住み、家からほど近い会社で技術者として働いているのだという。平日は、いやな仕事も引き受け、一生懸命働いて、休みは長期に山へ入るという。自然環境が豊かなので、トレーニングは専ら森の中…。なんともうらやましい環境に暮らしている。
 彼は、カシュガルを出るときから、いつもビールを片手に水代わりに飲んでいて(これは、ロシア人と同じだ)、アルコール臭い。おまけに、原色の黄色ズボンに、青色シャツ、日焼しないようにタオルを頭から巻いている…というなんともちぐはぐないでたち。初対面で人を判断するのは申し訳ないと思いつつ、私のリストには、真っ先に「要注意」人物のチェックが入ってしまっていた。
 一人で参加したフランツは、ベースキャンプでのテントメートを探しているようで、私に「一緒のテントをシェアしよう」としきりに誘ってきたが、直感的に私は断りつづけていた。自分に理解できないと思った人物には、なるべく近づかない。山だけではなく、一人旅にでるときなどでも、そんな直感を信じることが結構大事だと思っているからだ。実は、一緒に行動することになったスペインチーム3人組も、かなり私と近い価値観を持っていたので、彼には「要注意」マークをつけていたらしい…。彼らもまた、一緒にテントをシェアしようとフランツから誘われたが、やんわりと断ったうえに、うそも方便で「マサミと既に約束してるんだ」とまで言ってしまっていた。
 結果的に、私はスペインチームと、フランツはデンマークのクラウスと一緒のテントをシェアすることになった。
 フランツは、英語があまり得意ではなく、みんなで会話中「ヤーヤーヤー(yes,yes,yes)」とドイツ語でうなづいてはいるが、結構通じていなかったということが後から分かったりした。だから、大事なことは、ゆっくり確認しあわなければ危険だ…、と、とこれまた「要注意」マークを私は彼につけてしまっていた。私も、会話中にわからないことはあるけれど、わからないときは、頷かないでいる。軽い話しならそのままでもいいし、内容が大事なときにはこちらから再び質問するように気をつけている。あたりまえのことではあるのだけど、今まで外国の隊で何度か活動してきて、なんとなくわかったように相槌を打ってしまうのは、危険なことだと考えるようになったからだ。
 しかし、山登りは不思議なものだ。実際の登山がはじまり、人の行動や歩き方を見ていると、その人がどういう人か、また違った角度から見えてくる。しかし、今回ほど第一印象と実際の山での印象が違ったことも、あまりないのでは…、と思えるほど、一緒に行動してみたらフランツの印象が変わってしまっていた。なによりも、すごい体力がある。これもはじめは、『がんばりすぎると高所じゃつらいいのになあ』と私の中で「要注意」マークだったのだが、観察していると、彼は自分を結構知っていて行動しているのがわかってきた。むちゃくちゃ高所に強いのだ。ベースキャンプでは初日からSPO2(血中酸素濃度…高所では酸素が薄くなるので、血液中の酸素の濃度も低くなってしまうのだ)が90%を越え、1週間後にはなんと100%という値になっていた。高所に強いとか弱いというのは体質によるところも大きい。彼は明らかに強いタイプだった。だから、高所でガンガンスピードを上げて歩いても、ダメージを受けないのだった。
 そういうわけで、山に入ってからは、徐々にまわりも彼に一目おくようになっていった。登山の後半では、強いチームとそうでもないチームに二分されていったのだが、強いチームはフランツを筆頭に、デンマークのクラウス、スペインチーム、そして、そこにかろうじて私が入るといったことになった。登頂はならなかったが、アタックの日にはフランツが得意のスキーを駆使して先頭を切ってルートを切り開き、みんなの牽引役となったどころか、なるべく荷物を軽くしたいみんながいやがった赤旗を誰よりも多く持って無言で出発したのも彼だった。私はそれを見て、この人は、本当に心も強く自立した人なんだな、ということがわかった。私も、彼の次に多く赤旗を背負ったが、「みんなも、赤旗持ってね!(…ずるいのは許さないよ!)」と大きな声で言ってしまうところが彼との大きな差なのだろう…。いずれにしても、フランツは立派な山屋であったわけなのだが、見た目の不思議さから、みんなは尊敬を込めて彼を「野獣(ビースト)」と呼ぶようになっていた。
 カシュガルからそれぞれの国へと帰る日の朝、かれは、私のところに最後に挨拶に来てくれた。そして、お互いに感謝を込めたハグをしてから「これをぜひ、マサミに上げたかったんだ」と言って、ポケットから金色に青や緑のビーズを散りばめた、中国的にキッチュだけどすばらしく美しい蝶のブローチを私につけてくれた。動くと、まるで飛んでいるように羽ばたいてきらきらと光を反射する。
 「蝶の意味がわかるかな…マサミが自由に向けて飛んでいくように!という願いを込めているんだ」
 私は、それを聞いて、うーん、とうなってしまった。なんて、ステキなプレゼントなんだろう。しかも、なんだか、ずいぶんと私の本質的なところを言い当てられてしまったような気がして、やっぱり彼は、動物のような直観力を持っているのかもなあ、と思った。そして、その言葉は、深く私の心の中に響いたのだった。