壮行会

 今日は飲み会のおさそいが2件あった。1つは、卒業後、初めて勤めたコンサルティング会社の先輩から。当時プロジェクトリーダーだった大先輩が、ご両親の介護のために退職することになったので、お別れ会に参加しないかとのお誘いだった。私が21歳の頃のプロジェクトリーダーは、ずっとずっと年上の印象だったが、年齢を確認したら、今まだ54歳だそうだ。ということは、その先輩は当時、今の私と同じくらいの年齢だったことになる。時間が経つのは、信じられないくらい早いものだ。さそってくださった、尊敬する女性の先輩も、既に20年近く同じ会社に勤めている計算になる。「淡々と毎日を過しています」とメールで書いてくださったが、毎日の仕事は、まさにこの「淡々と」という言葉が本質を言い当ててる、と思う。「淡々と」何かをしつづけることは、ある意味で、とても美しくすごいことだと思うことがある。「淡々と」毎日を過すには、分相応で居ることに対するある種の諦めと、一方で、前進していこうという希望や明るさがなければできないからだ。だから、「淡々と」しかし継続して何かに取り組むことができる人たちを私は心から尊敬している。それにしても、ご両親の介護で会社を辞めるなんて、なんてステキな引き際だろう。
 もうひとつのおさそいは、私の壮行会だった。仲良しの友達たちが遠征前にぜひ飲みに行こうとさそってくれた。場所は、大好きなパークハイアットを指定してくれたので、それこそ出発前の準備でやることは沢山あるのだけれど、飲み会に行くことにした。
 東京の夜景を満喫しながら、美味しい赤ワインにぴったりと合う無花果とチーズで、幸せな夜を満喫する。勝手な夏休みの、勝手な山行なのに、こんな風に応援してくれる仲間がいるなんて、本当に幸せだ。
 この仲間達とは、未だにいつも、いかに生きるべきか、人生について、いつも語ってしまう。私とは違って、みんな第一線で仕事をしている、とても優秀な人たちだ。だから、かえって私のような存在を面白がって応援してくれるのかもしれない。
 あなたの山はバケーションなのであって、無理しないが鉄則でしょう、とくぎをさされる。まったくその通りなので、無理しないで楽しんで来ようと思う。