メンバーと合流

 6:30腕時計とモーニングコールのダブルで起床。7:00ホテル発の空港バスを待ったが、送れている。ヤキモキするが荷物があるので、歩いていくことはできない。7:15分にやっと出発した。
 カシュガル行きのカウンターに並ぶと、右も左も、大きな荷物やスキーをカートに乗せた、明らかに普通の旅行者ではない荷物の人たちが並んでいる。「コスクラックですか?」と声をかけらて「はい」と振り向くと、韓国人の人たちだ。彼らは隊員リストにはなかったけれど、参加することになったのだろう。挨拶を交わのも早々に、それぞれのチェックインカウンターでエクセスのやり合いが始まった。韓国の人たちはカウンターに身を乗り出して私以上に激しくやりあっている。私は、結局300元の出費。泣けてきた。

 韓国の人たちは5人で来たという。彼らから、となりのグループはロシアチーム、そのとなりは南アフリカチームだよと教えてもらう。うわ、なんだかみんな大きくて迫力がある。うまく溶け込んでいけるだろうか。緊張してきた。最初が肝心だわ、スマイルスマイルなどと、自分に言い聞かせる。みんな、自分たちのエクセス支払いに終われ、7:50頃ばたばたとそれぞれ飛行機に乗り込むかたちになった…。実は、この後で、エクセスの支払いに手間取り、飛行機に乗り遅れて次の飛行機まで待たねばならなかった隊員がいたことを後で知るのだが、とにかく、みんな荷物には泣かされているのだ。
 
 飛行機はカシュガルへ向けて飛び立つ。外からは朝の明るい日差しが入り込んで気持ちがいい。窓の下には侵食された美しい地形が続く。飛行機の中では、「コスクラックへ?」とお互い話し掛けつつ、自己紹介をしてゆく。

 カシュガルに到着。外気は34度。そう、この埃っぽく乾燥した空気と生活の匂いがするところ。やっと、戻ってきた、そんな気がするところだ。

 荷物を待つ間、さらに新たな隊員たちとも顔合わせをし、自己紹介をしあう。なんだか、みんな良い人みたいだ。直感的にそう感じて、ちょっとほっとする。大きなにもつをそれぞれカートに乗せて出口へ向うと、ビルの前には私たちを待つ荷物トラックとバスが待っていた。お互い助け合い、荷物を詰め込み早速バスで色満ホテルへと向かう。

色満ホテル(シーマンホテル)には、5年前ムスターグアタに来た際にも宿泊したところだ。登山報告書を見ると、大概の遠征隊はここを利用しているのじゃないかと思うほど、よく登場する名前のホテル。ここには旧館と新館があり、昔来たときは旧館に泊まり悲しい思いをした(エレベーターがない、エアコンがない、お湯がなかなかでない…)ので良い印象がなかったのだが、今回ははじめて新館へ宿泊となった。エレベータがないのは同じだったが、古いがなかなかゆったりした作りで、お湯も出るし、エアコンもあるし、古きよきホテルといった印象を受けた。団体客だからだろうか、バスを降りてエントランスへと向かう広場で、ウイグルの衣装を纏った女性たちの踊りで歓迎を受ける。うつくしく、うれしいものだった。

 部屋に大きな荷物を運び込んでから、早速朝食を食べに館内にあるJohn's Cafeへ。他の隊員と簡単な自己紹介をするが、事前にお互いのプロフィールなどをHP上で交換していたので、お互いあなたがその人ね、という感じであっさりしたものである。朝食を食べてから、15時に再び待ち合わせをして買出しに行く約束をし、部屋へ戻る。お風呂に入って一息。ふたたび、装備の確認などをして、買出しせねばならない食糧のリストアップなどをする。15時、ガイドでベースキャンプマネージャーを務めることになるデービッドが、みなをとりまとめて買出しへと連れ出してくれる。まずは、スーパーマーケットに寄り(大概のものは揃えられる)その足で市場へ。私は、上部の食糧をほとんど現地食で準備した。朝、夜用にポーリッジと大豆の粉末とスープ、昼用にビスケットやキャラメルやゼリー、市場ではドライフルーツやナッツをまとめて購入した。また、生活用にトイレットペーパーと洗面器を購入する。

 買出しを済ませて一度ホテルへ戻ってから、私は再度一人で町へ両替に行く。ドルのキャッシュとトラベラーズチェックを持参しているが、キャッシュはなるべく取っておきたい。町では、銀行でトラベラーズチェックを両替することにした。帰り道に再びスーパーマーケットに立ち寄り、いろいろと物色。石鹸なども買い足した。

 ホテルに戻ると、隊長を含めたロシアチームが送れて到着していた。隊長は、私が帰ってきたのを見つけると、早速挨拶と部屋割の話しをはじめる。ロシアからの女性ドクター、ナターシャと同室でいいかどうか確認したかったらしい。もちろん、OKだ。ナターシャに挨拶をすると、50代くらいだろうか、落ち着いた物腰の女性で私はひと目で好きになった。

 部屋で、ナターシャとお互い自己紹介をするが、ナターシャはほとんど英語を話さない。大概、英語が話せない人同士でも、身振り手振りで大概通じたりするところもあると思うのだが、なかなかその感覚があわず理解が進まないのだ…。ロシア語と英語の辞書を駆使して話したところでは、彼女はモスクワでドクターをしていること、成人している息子がいること、専門は内科のドクターだがハーブでの薬の処方をしていること、などがわかった。彼女自身ももともとは登山をしていたが、最近はしていないらしい。それでも、話しをするだけでも、彼女が誠実な人柄で、安心して相談ができるドクターであることがわかってとてもうれしかった。なんといっても、ハーブの薬を処方するなんて、ステキじゃないか。

 夜、23人の隊員が全員揃った。再びJohn's Cafeのテーブルをいくつも並べて私たち全員が座れるようにする。私は、近くに座ったスペインの3人と、デンマークの1人とお互い紹介しあってから、食事をするが、本当に楽しく友達になれそうな予感がして、私より年が若い4人を一発で気に入ってしまった。スペインのアルハンドロは歯に衣着せず「なーんだ、経歴を見てどんな人が来るかと思ったけど、とっても普通なんだね〜!」などという。そればかりか、まわりのみんなが一同に激しく、うんうんとうなづいている…。体が小さいし、よっぽど弱くみえたのだろうか…。どういうことよ、とちょっと怒ってみせたが、なんか、こんなふうに率直な人たちはいいなあ、と内心とても安心できたのだった。無理せず、自分らしくやっていけそうな気がする。